阪神・淡路大震災の事例から考えるBCP
- アールシーソリューション株式会社

- 5 日前
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「1.17」に発生した阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)からまもなく31年が経とうとしています。
日本でBCPの考え方が広まったのは2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降といわれており、1995年の震災当時はBCP(事業継続計画)の考え方はほとんど普及していませんでした。
BCPのルーツは、1970年代の欧米では情報システムやコンピュータへの依存が高まり、システムが止まることによる業務停止を回避したいという動きが高まったことからです1)。
当初はDRP(Disaster Recovery Plan; 災害復旧計画)という発想から始まりましたが、それだけではいけない、BCPに取り組まないとカバーできない、という転換が起きたのは、米国・ロサンゼルスで1988年に発生したファースト・インターステート・バンクビル火災が一つのきっかけと言われています2)。この銀行は近隣にバックアップセンターがあったことが功を奏し、数日以内での営業再開ができたことで、事業継続の重要性が知れ渡ったそうです。
「BCP前夜」の日本を襲った阪神・淡路大震災は、6000名以上の方が犠牲となりましたが、人だけでなく産業も大きな影響を受け、仕事を失った人も少なくありません。
しかし、BCPという“横文字”の考え方がまだなかったにせよ、被災後の経営者たちが事業継続に奔走したのは言うまでもありません。
ポートピアホテルの中内力社長は、不安になる宿泊客をなんとか帰宅させてメディア関係者の宿泊場所を確保し、給湯器で知られるノーリツは災害ボランティアを志願する社員に対して製品の製造こそが社会貢献だと説き伏せて事業の立て直しにこぎつけました。
もちろんBCPという「計画書」とそれを見直す取り組み(BCM;事業継続マネジメント)が大切なのは言うまでもありませんが、それをいざという時に活かす経営者の判断が欠かせないうえに、より早い事業復旧・継続を目指すためには事前の準備が欠かせないということがわかります。
阪神・淡路大震災の被災者らに対する「オーラルヒストリー」のインタビューを行ってきた防災心理学者・林春男氏の言葉が印象深いので紹介します。
「形式的なBCPはあっても、事業継続の本質でもある経営者の信念はあるのか。もっと言えば、器はあっても魂が入っているのか。私の危惧はその点にあります。」3)
また、被災直後はなんとか持ち直したとしても、その後持ちこたえられないというケースも忘れてはなりません。
阪神・淡路大震災でもたとえば建設業では震災の年(95年)の倒産件数は91件だったのに対し、3年後(98年)は272件と約3倍に増加したと言われています。要因は様々でしょうが、「復興特需」が一段落した後の反動が大きかったと見られています4)。
「地震」や「洪水」といった自然現象は(余震や複合災害はあるにせよ)その瞬間のものですが、それに伴う「災害」はその後も長く降りかかるものだということを改めて認識し、中長期的な視点に立ってBCP/BCMに取り組んでいくことが大切です。
参考
1) 昆 正和 (2016)『あなたが作る等身大のBCP』日刊工業新聞社, p.18
2) 日本政策投資銀行 (2006)「事業継続計画 (BCP) を巡る動向と今後の展開
3) リスク対策.com (2017:2015)「「阪神・淡路大震災 経営者の証言から読み取るBCMの本質」(巻頭インタビュー 京都大学防災研究所教授(現・防災科学技術研究所理事長)林春男氏)」 <https://www.risktaisaku.com/articles/-/459>
4) 津田 敏夫 (2011)「被災後にやっておきたい法人担当者の実務対応」『銀行営業推進』2011.6 <https://www.gkpart.com/pdf/110515_eisui.pdf>



